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Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2021年04月14日

4月14日の記事

「書は言を尽くさず、言は意を尽くさず」

子(孔子)曰く、書は言を尽くさず、言は意を尽くさず。然らば則ち聖人の意、其れ見るべからざるや、と。
子曰、書不盡言、言不盡意。然則聖人之意、其不可見乎。
「書は言を尽くさず、言は意を尽くさず」は、手紙文の末尾の言葉として好んで用いられる。

書は言を尽くさず、言は意を尽くさずと
人に物事を頼むとき、言葉でその意志を伝えて依頼します。例えば、コーヒーを飲みたくなったら、家の者に頼み、喫茶店なら店のマスターに頼みます。そうするとコーヒーはコーヒーカップに注がれてテーブルの上に出てきます。黙って自分でコーヒーメーカを使っても、コーヒーを飲むことができます。それでは、人に言葉でコーヒーを入れてくれるように依頼するのと、コーヒーメーカを使って自分で入れるとのとどれだけ違うのでしょうか。

そこで言葉は『機械』と言えるか? この問いに、

機械は使い手が自在に動かすことができるが、言葉は確かに物事を動かすことができる。しかし、それは往々にして自在に操ることはできない。人に意志や考えを伝達して、物事を成し遂げていくのだが、その中で意志の疎通に差がああり、時に行き違いになり思わぬ方向に向かうこともあるのが言葉です。


世界には6500以上の言語が存在すると言ったが、果たしてそのなかで、文字をもっている言語はいくつあるだろうか。実は、独自の文字体系をもっている言語は、400ぐらいしかないのである。つまり、文字をもたない言語は6000以上もあるのである。
  

Posted by 北国こうめい at 08:58Comments(1)