2008年04月15日
山本和儀先生を偲ぶ
大東市の理学療法士の山本和儀先生が昨年初冬に亡くなった。
私は「帯広十勝の医療を考える」という「地域医療」を学ぶ会に関わっていた。山本先生を講演の講師としてお呼びしたことがあった。講演後の懇親会で「北海道はリハビリ技術者は少なく、自治体にはいない医療施設内でリハビリを行うのみあって、地域リハを行おうという人がいないとの話をした。その時、山本先生はためらうことことなく、「私が来ましょうか?」と言ったのでびっくりしてしまった。それなりの覚悟も出来てなかった私は後のことばが続かなくなってしまった思い出がある。
市立病院50床の大東市で病院を基軸に地域リハビテーションを実践してきた。帯広市立病院も50床で赤字問題を抱えていた。地域医療と市立病院をどうしようかという時期であった。大東市も50床の市立病院を核に取り組まれるそのスライドを講演の中でみた。そこには子供もお年寄りも楽しそうに笑っている姿があった。その後、数人で大東市を訪問しその取り組みを見学にもいった。先生にもまたお会いした。ただの臨床検査技師の私は、地域リハビリの先駆者で「保健と医療と福祉」の統合の理念と実践活動をこの先生から学んだのだった。
平成20年4月19日 大阪府大東市で「山本和儀先生を偲ぶ会」が開催される。
「平成20年全国地域リハビリテーション研究会特別研修会」に時期を合わせて開催される。
昨年末から3か月間に、師匠とも仰ぐある意味、私の人生を変えた人を相次いで亡くした。
私は「帯広十勝の医療を考える」という「地域医療」を学ぶ会に関わっていた。山本先生を講演の講師としてお呼びしたことがあった。講演後の懇親会で「北海道はリハビリ技術者は少なく、自治体にはいない医療施設内でリハビリを行うのみあって、地域リハを行おうという人がいないとの話をした。その時、山本先生はためらうことことなく、「私が来ましょうか?」と言ったのでびっくりしてしまった。それなりの覚悟も出来てなかった私は後のことばが続かなくなってしまった思い出がある。
市立病院50床の大東市で病院を基軸に地域リハビテーションを実践してきた。帯広市立病院も50床で赤字問題を抱えていた。地域医療と市立病院をどうしようかという時期であった。大東市も50床の市立病院を核に取り組まれるそのスライドを講演の中でみた。そこには子供もお年寄りも楽しそうに笑っている姿があった。その後、数人で大東市を訪問しその取り組みを見学にもいった。先生にもまたお会いした。ただの臨床検査技師の私は、地域リハビリの先駆者で「保健と医療と福祉」の統合の理念と実践活動をこの先生から学んだのだった。
平成20年4月19日 大阪府大東市で「山本和儀先生を偲ぶ会」が開催される。
「平成20年全国地域リハビリテーション研究会特別研修会」に時期を合わせて開催される。
昨年末から3か月間に、師匠とも仰ぐある意味、私の人生を変えた人を相次いで亡くした。