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2010年10月21日

はじめにズルすれば上手くいっても破綻する

はじめにズルすれば上手くいっても破綻する

つぶやきかさこ

kasakoblog.exblog.jp
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2010年 10月 21日はじめにズルすれば上手くいっても破綻する

世の中が「進歩」することで、
社会が「自由」化されればされるほど、
モラルやルールは形骸化し、
どんな手段を使おうが、勝ったものが勝ち、
という世の中になっていく。

それは何も詐欺的商法を行う、
悪質業者に限った話ではない。
正義を装いルールを都合のいいようにねじまげて、
自分の利益を誘導する弁護士や官僚や政治家や大企業が多いことは、
みなさんもよくご存知だろう。

しかし何もそうしたことは組織に限った話ではない。
自分の欲望を満たすために、
ルール無用であらゆる巧妙な手立てを講じる個人もわんさかいる。

今や、結果がすべてで過程は問われない、
といった風潮が蔓延している。
だから過程でズルしても結果が出たもん勝ちという話になる。

こうした世の中で、私たちが生きていくには、
2つの行動パターンがある。

1つは、多くの人がどんなにズルしようとも、
自分は絶対にズルしないと決意する生真面目タイプ。

もう1つは、みんながズルしているのだから、
自分もズルしたって悪くないと、
“多少の”ズルをする臨機応変タイプ。

多くの人は後者だろう。
でも人はズルをすると罪悪感を覚える。
だから人はこう考える。
「私はここまでのレベルのズルはするけど、
他の人ほどあんなひどいズルはしない」
そうやって罪悪感に自ら防衛線を張ることで、
「自分はズルしているけど、すごいズルをしているわけではない」
と納得させ、堂々とズルを行うわけだ。

しかしどんなことでもそうだけど、
はじめにズルをすると、
はじめにボタンの掛け違いをすると、
どんなに途中上手くいっても、
いずれどこかで破綻する。

途中でズルをしたら、
そこまで引き返せばいい。
でもはじめにズルをしたら、
今までのことがすべてパーになる可能性がある。
そのぐらい、はじめのズルは重い。
だってはじめが間違っていたら、
それはすべて間違いなんだから。

だから、やってはいけないことは、
やっぱりやってはいけないんです。
でも人はやってはいけないと言われば言われるほど、
逆にそれをしたくなる。
やってはならないことが、
ルールを守って競技をするより美しく見える。
それで人はついつい、
やってはならないことに手を出してしまう。

はじめは自分がズルをしていることで、
誰かにバレるんじゃないかとびくびくする。
しかしズルしていても誰からも文句を言われないと、
次第に「ズル」の感覚が麻痺してくる。
「自分はそんなに悪いことしてるわけじゃないんだ」と。

私のしていることはズルイことかもしれないけど、
誰かの権利を侵害しているわけではないし、
誰かに迷惑をかけているわけでもない。
ちょっとルール違反かもしれないけど、
誰にも迷惑かけていないからいいじゃないか。
そうしてどんどんズルが正当化され、
エスカレートしていく。

でもズルをすれば、
他人から文句を言われなかったとしても、
その獲得した欲望や利益は、
間違いなく誰かの犠牲の上で得られたものであることに変わりない。
本当ならそこに罪悪感を感じて、
ズルをやめようと誓うのだが、
他人から文句を言われないと、
罪悪感は感じないから、ズルをし続けてしまう。

「私はちょっとズルしたかもしれないけど、
誰も傷つけていないし、
そんなにひどいことやっているわけでもない」と。

しかしいずれはわかってしまう。
その自分が軽い気持ちでしたズルによって、
実は多くの人が傷つけられていたことを。

それに気づいた時、
今まで気づかなかった罪悪感に急にさいなまれ、
大きな後悔をする。

なんて私はひどい人間なんだ。
なんて私はダメな人間なんだ。

でもそれは他人を傷つけてしまったから、
後悔しているのではなく、
本当は、他人を傷つけたことを知ってしまったことで、
自分が傷つけられたことを後悔しているのだ。
つまり、他人の痛みではなく自分の痛みで後悔している。

だから人は「もう二度とズルはしまい」と思っても、
月日がたてばまた同じ過ちを犯してしまう。
「今回のは違う」「今度は大丈夫なはずだ」
そうしてまたズルをして、
はじめの大きなボタンの掛け違い=ズルによって破綻し、
自分が傷つき、しばらくの間、後悔し、
そして自暴自棄になって、
社会が悪い、あいつが悪い、自分は能力がない人間だなどと、
時にはいろんなことのせいにして、
毎日、酒を浴びるように飲み、
毎日、いろんな人と遊び回り、
欲望に任せて行動することで、その空虚感を満たそうとする。
決してそんなことでは空虚な想いは満たせない。
だからどんどん行動はエスカレートしていく。

どんなに遠回りだったとしても、
どんなに他人がズルしていても、
自分だけはズルしない。
実はこれが最も遠いようで、最も早い“幸せの近道”だ。

しかし人は悲しいかな、
目先の欲望や他人の動向に打ち勝つ精神力はない。
ズルすれば簡単に得られる獲物を見つけてしまえば、
ズルして手に入れ、束の間の満足感を得る。

何回もズルを繰り返していることは、
実は自分では痛いほどわかっている。
ズルしたことで得た欲望の代償は、
いずれ返り血のように自分に返ってきて、
自分を傷つける結果になることを。
そう長くは持たない幸福であることを。

それでもズルを正当化してしまうのは、
「まじめに生きていたっていいことないし、
幸せなんて幻想だし、今の社会に希望なんてないんだから、
欲望が満たされればいいじゃないか」
と快楽主義に逃避するからだ。

それによって自分は生真面目な「バカ」どもとは違い、
たとえ一瞬でも密度の濃い満足度を味わっているから、
本当は幸せなんだと自分のズルを正当化してしまう。

今の世の中、すべてのズルがバレるかはわからない。
ズルした人の方が、
生真面目な人より楽しい生活を送っているかもしれない。

しかし、それは、絶対に、いずれ、破綻する。

ズルして得た利益が大きければ大きいほど、
その代償も大きく跳ね返ってくる。
むしろズルはすぐにバレた方が、
代償が少なくて済む場合もある。
ズルして長いことバレないのは、
幸福を得ているのではなく、
いずれ爆発する不幸の貯金をしているようなものだ。

だからやっぱり、
してはいけないことはしてはいけないんだと思う。
してはいけないことをしても、
自分が不幸になり、他人が不幸になり、社会が不幸になるだけで、
結局、自分の楽しくて幸せな人生を遠ざける結果になる。

でもそう正論を振りかざしたところで、
残念ながらわからない人にはわからない。
なぜなら、してはいけないことの味をしめた人間は、
ある意味、病気だからだ。
中毒性の病気。
悪いとわかっちゃいるけどやってしまう。
そして自分をどんどん傷つける・・・。

ズルをしている人が多い世の中だからこそ、
ズルをしたら後で不幸になるだけだと、
ウソでもいいから思い込んで、
はじめにズルをしない、はじめにボタンの掛け違いをしないよう、
肝に銘じたい。

でもこんな不透明な時代だから、
「不幸な私」を演じることで満足感を得てしまう人も多い。
なぜなら幸せや希望を期待して裏切られると怖いから、
ズルをして一時的な幸せ・刺激を手に入れて、
それが破綻しても「仕方がない」と割り切れるから。

でもそんな倒錯した方法が通じるのは若いうちだけ。
年をとればそれは通用しなくなる。

はじめにズルをしたら、
どんなに上手くいっているように思えても、
絶対にいつか破綻する。
それは不幸の近道、幸せの遠回りだと思う。

多くの人に幸せになってもらいたいからこそ、
不幸な近道を選ぶ人が少なくなってくれればいいと思う。

どこかで病気は断ち切らなければならない。
つらいけど。
痛みを伴う改革なくして真の幸せは訪れないから。

他人のズルを見て、
自分もズルをしてしまいたくなってしまう、
そんな弱い自分に対して自戒を込めて。


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Posted by 北国こうめい at 00:23│Comments(0)
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